向き合って、慈しみあって   覺法寺は、沼津市で唯一の浄土真宗(本願寺派)のお寺です。沼津の覚法寺で通っています。

孫悟空ときんと雲

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songoku

西遊記

中国で16世songoku-con-a紀の明の時代に大成した伝奇小説で、唐僧・三蔵法師が白馬・玉龍に乗って三神仙(神通力を持った仙人)、孫悟空、猪八戒、沙悟浄を供に従え、幾多の苦難を乗り越え天竺へ取経を目指す物語
唐の時代にインドへ渡り仏教の経典を持ち帰った玄奘三蔵の長年の旅を記した地誌『大唐西域記』を基に、道教、仏教の天界に仙界、神や龍や妖怪や仙人など、虚実が入り乱れる一大小説であり、物語の縦軸に玄奘三蔵の波乱の人生を、横軸に無敵の仙猿・孫悟空の活躍を置き、玄奘三蔵一行が天竺を目指し取経を果たすまでを描いている。

現実の玄奘三蔵の取経の旅は西暦629年から645年に行われた。その事績が仏教徒の間で伝説化し神聖視された痕跡が各地に残されている。songoku-con-b
敦煌莫高窟から発見された絹本、紙本の絵画及び壁画(9世紀から11世紀半ば)には、経巻を背負い虎を伴った徒歩の行脚僧の描かれたものがあり、伝説化した玄奘とする説がある。これらの中には宝勝如来を上隅に描き入れているものがあり、「寳勝如來一?」と書き入れられたものもあることからこの取経者は宝勝如来に保護され、また宝勝如来と同一視されたと推定される。
莫高窟東方約 100 km の楡林窟、その更に東方約 30 km の東千仏洞の水月観音図、普賢変図(12世紀後半、西夏末)に含まれる玄奘取経図に描かれた玄奘は猴(マカカ属のサル)と馬を伴っており、また張世南『游宦紀聞』(1228)所収の張聖者の詩(北宋末から南宋初、12世紀前半と推定される)には「幾生三藏往西天」「苦海波中猴行復」「沈毛江上馬馳前」の字句が見え、12世紀には玄奘の取経伝説には猴と馬が取り込まれていたことが分かる。1237年に建立された福建省泉州の開元寺の仁壽塔(西塔)第四層南面には「梁武帝」に向き合って経文を捧げる「唐三藏」、東北面には刀を手にした猴行者と金箍棒を手にした「東海火龍太子」の浮き彫りがあり、それぞれ「」内の文字が銘文にある(猴行者は銘文無し)。

孫悟空songoku-con-c
“悟空”は仙術の師匠・須菩提祖師からもらった法号であるため、「実名敬避俗」(諱参照)に準じ“孫行者”と呼ばれる。孫悟空の孫は猿の昔の呼び方である「??」から来ている(“?”の獣偏を取った“孫”を名前に取り入れた)。
はじめの通称は美猴王、天界時の自称は斉天大聖。
天界の乗っ取りを目論み下界の妖怪を引き連れて反乱を起こすが、釈迦如来の策で五行山に五百年間拘束される。罪を償うべく三蔵の弟子として同行し、妖魔を下して取経の旅を支えた。西域より帰還の後、未来世に成仏して闘戦勝仏となることを釈迦如来より約束される(これを記別という)。
猪八戒
“八戒”は「実名敬避俗」に準じた通称であり、観音菩薩からもらった法号は“猪悟能”。天界から地上へと落とされた際、人間に転生するはずが、うっかり雌豚の胎内に入ってしまったため、容姿が豚となってしまう。
天界時の官職は天蓬元帥。
転生後は福songoku-con-d梁山で悪事を重ねていたが、先んじて三蔵に同行していた悟空と一騎打ちをしたのち旅に加わった。西域より帰還の後、未来世に浄壇使者となることを釈迦如来より約束される。
沙悟浄
“悟浄”は観音菩薩からもらった法号であるため、「実名敬避俗」に準じ“沙和尚”と呼ばれる。悟空と八戒との間を取り持つ役。中国では顔色が黒い気味の悪い男と表現される。天界から流沙河に追放され、そこで人を襲う妖怪となった。流沙河は名前の通り河のように流れる流砂を表していたが、水の流れる河と誤解されている。そのため日本では“河童の妖怪”とされている。
天界時の官職は捲簾大将。
西域より帰還の後、未来世に金身羅漢となることを釈迦如来より約束され、天界の池に住まうことを許される。
三蔵法songoku-con-e
俗名は玄奘であるが、江流は父であり、成人する前に出家したからか玄奘の諱や字の記述はない。三蔵法師は尊称、法名は玄奘三蔵。この人物には実在のモデルがいるが、劇中の内容は史実とは全く異なる。
生まれる前に父を殺され[7]、母を奪われて、生まれてすぐに川に流されるが、銀山寺[8] で拾われずっとそこで育てられる。観音菩薩の命を受けて天竺へと取経の旅へ遣わされる。その際、太宗皇帝と義兄弟となった。
前世で天界にいた時は釈迦の第二の弟子、金蝉子であったが、仏法を信じないため下界に落とされた。
西域より帰還の後、未来に旃檀功徳仏という仏に成る記別を釈迦如来より与えられる。

ウィキペディアより引用

孫悟空は「怒り」を、猪八戒は「貪欲」を、沙悟浄は「愚痴」を、それぞれ描いています。天竺までの旅路では、さまざまな出来事が起こります。そのたびごとに三蔵法師に戒められ、諭されたりして旅を続けます。実際には三蔵法師自身のなかにある煩悩の姿なのでしょう。
親鸞聖人は、煩悩から離れることのできない、ときには孫悟空であり、猪八戒であり、沙悟浄である「この私」を、救いのめあてとされた仏さまが阿弥陀如来であるとお示し下さいました。

阿弥陀さまは、どのような心であろうと一切の生あるものを救おうとしていらっしゃいます。 TEL 055-967-7953 〒410-0309 静岡県沼津市根古屋136-6

他力本願(たりきほんがん)


阿弥陀仏が衆生を救済する本願のはたらき。
阿弥陀如来の根本の願いとして「あらゆる人々に、南無阿弥陀仏を信じさせ、 称えさせて、浄土に往生せしめよう」と誓われた願い。この本願のとおりに私たちを浄土に往生させ、仏に成らしめようとするはたらきを「本願力」 といい、「他力」といいます。

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